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私は、どのような発明や発見の場合も、科学上のアイデアのひらめきと
同時に魅力的な女神が私の人生に現れる、という体験をしてきました。
こうしたことは私の人生にいくどとなくありました。
私がなにかの発見をしかけ、思考の感覚を高めていると、いつも私に
とって非常に魅力的な女性が現れ、ふと気がつくと私は恋に陥りかけて
いるのでした。
そして私が恋にそれ以上深入りせずに踏みとどまれた時だけ、私は
発見と発明に専念できたのでした。
■読後ノオト(これは解説ではありません)
この文章はバックミンスター・フラーの本から引用したものです。
読者の方からこのメルマガのカバーしている分野が広い点を
ご評価いただくことがありますが、例えば、今日の文章を
書いているバックミンスター・フラーについて、私の理解が
どのぐらいあるか、となるとはなはだ心細い限りです。
私自身は、基本的に「文章を読むこと」が好きだということで
いろいろな本を手にすることが多い、というだけのことでしょう。
バックミンスター・フラーとの出会い(彼の本との出会いという意味)
は、ほとんど偶然の立ち読みからで、読んでいて面白くなってしまった
というに過ぎません。(笑)
だって、今日の文章、なかなか魅力的でしょ!
科学者の発言とは思えません(笑)
本との出会いも、人との出会いも、「出会い」そのものの機会を
増やそうという姿勢は持ち続けたいと考えています。
風が立つ!
生きる努力をせねばならぬ!
広大大気が私の本を開いては閉じ、
波が飛沫となって岩からほとばしる!
飛び去るがいい、光にくらむページよ!
砕け、波よ!砕け 喜びに湧き立つ水で
三角帆が餌をついばんでいた穏かなこの屋根を!
■読後ノオト(これは解説ではありません)
これはポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」からの一節です。
彼の詩人としての才能は必ずしも私たちの心を揺さぶるもの
とは言えません。
しかし、この詩から限りなく澄み切った青い海原を想像する
ことは可能でしょうし、知性に訴える何かがあると
思います。
でも、ヴァレリーはやっぱり評論の方が抜群に面白いですね。
彼の知性は今も知的好奇心を刺激すると思います。。
かのしら雲を呼ばむとするもの
まことにかぞふるべからず
飛べるものは石となりしか
さびしさ啼き立つる
ゆふぐれの鳥となりしか
■読後ノオト(これは解説ではありません)
室生犀星の「しら雲」という詩からの引用です。
学校の教科書で勉強した頃は、
なぜか詩を楽しむという意味が分からなかった。
ただ、その中でも室生犀星の詩は比較的理解し易い
ものだったと思う。
当時、好んで読んだのは、室生犀星と三好達治
だった。
やはり詩というのは、少し声を出して朗読すると
理解はぐっと深まると思います。
この蒼空のための日は
静かな平野へ私を迎える
寛(おだ)やかな日は
またと来ないだろう
そして蒼空は
明日も明けるだろう
■読後ノオト(これは解説ではありません)
私にはかつてこの詩人を愛した友人がいた。
高校の同級生であったが、急速に親交を深めたのは
高校を卒業して大学に入学するまでに許された
非常に自由な一時だった。
その後、彼は大学に進学してまもなくこの世を去った。
この詩人に対する浅薄な評価を下す者に対して
「彼は伊藤静雄を理解していない」と
言い放ったものだった。
とても多感な時期だった。
私の伊藤静雄体験は、彼の記憶なしに語ることができない。
私の伊藤静雄に対する理解は友人を満足させるだろうか?
このごろは暑いため短い厚司(あつし)になっているので、
下からだとひと目に見通される三吉のすらりとした両脚(あし)や、
青いさるまたをはいた、まだあんまりやせもしない娘のような
むっちりした丸い股(もも)は、八蔵の残忍な興味をそそった。
■読後ノオト(これは解説ではありません)
少し説明を要するかもしれません。
この文章は野上弥生子氏の「海神丸」という小説からの引用です。
引用個所は、「海神丸」乗組員の八蔵が、人肉食いを妄想する
シーンです。
たまたまこの文章の解説を見つけたのでご紹介します。
文章の読み方の参考になると思います。
食欲と性欲とが未分化になって合体し、暴力性を内在させた瞬間に
人間は「鬼」になる。
そういう心理過程を、一つの文章の中に結晶させている。こういう
表現が野上弥生子の最大の魅力である、と。
このコメントをどう感じられるか、については、皆さんにおまかせ
するとして、
作家が、何をどう表現しようとしているのか、について知るには、
なかなか良い事例であると思います。
この作品で、野上弥生子は小説家として成熟したと評された
と言います。
この宇宙は、神の頭をかすめていく思いつきのひとつにすぎない。
これはかなり不愉快な考えである。
あなたがマイホームの頭金を払ったばかりなら、なおさらだ。
■読後ノオト(これは解説ではありません)
一体、これは何?と思うかもしれない。
へぇー、ここでこれを引用するの?と思う方もいるかもしれない。
人を食った言い回し。
それが彼が期待されていること。当人は自覚しているかもしれない。
ウディ・アレンの「これでおあいこ」から。
すごく面白い時と、かすっているとしか思えない時があるけれど、
それも彼らしいのかもしれない。
夢の中で、悪魔に魂を売り渡すのと引き換えに、
素晴らしい音楽を書くことが出来た。
■読後ノオト(これは解説ではありません)
この言葉は「悪魔のトリル」という副題を持つバイオリンソナタを
残したジョゼッペ・タルティーニの言葉とされる。
タルティーニは17世紀に生きた作曲家。
私はアンネ・ソフィー・ムターというヴァイオリニストが演奏する
「悪魔のトリル」を繰り返し聴く経験を持っているに過ぎず、
音楽に詳しい訳ではないのですが、
こんなに薄気味悪い言葉を残す気になったタルティーニの心境を
思い浮かべながら、
本当に本当に美しい「悪魔のトリル」を繰り返し聴く
ということが、人にオススメするに値する素敵な体験である、
と思っています。
私たちは別れの挨拶をかわした。
車が角をまがるのを見送ってから、階段をのぼって、
すぐに寝室へ行き、ベッドをつくりなおした。
枕の上にまっくろな長い髪が一本残っていた。腹の底に
鉛のかたまりをのみこんだような気持だった。
こんなとき、フランス語にはいい言葉がある。
フランス人はどんなことにもうまい言葉を持っていて、
その言葉はいつも正しかった。
さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ。
■読後ノオト(これは解説ではありません)
ハードボイルドという言葉を実感したのはもちろん
彼の小説を読んだときことだ。
レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」
「メッセージ」が「メッセンジャー」より早くとどくようになったのは、
電信の登場以来のことである。
それ以前には「道路」と「書かれたことば」とは、相互に密接に関係
していた。
電信の登場とともにインフォメーションは、石やパピルスなどの固体
から分離した。
それはちょうど金銭が獣皮や金塊や金属から分離し、最後には紙に
なったのに似ている。
■読後ノオト(これは解説ではありません)
これはマクルーハンの文章です。
インターネットという新しいメディアが登場して以来、個人のレベル
でメディアについて考えることが多くなったと思います。
マクルーハンのメディア論は今も多くの示唆を含んでいますね。
「新しい天使」と題されたクレーの絵がある。
それにはひとりの天使が描かれていて、この天使はじっと見つめている
何かから、いままさに遠ざかろうとしてるかに見える。
その眼は大きく見開かれ、口はあき、そして翼を広げられている。
歴史の天使はこのような姿をしているにちがいない。
彼は顔を過去の方に向けている。
私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れているところに、
彼はただひとつ、破局だけを見るのだ。
■読後ノオト(これは解説ではありません)
この文章はベンヤミンの「歴史の概念について」の中の文章です。
実はこのメルマガの読者の方に、熱狂的なクレーの愛好家の方が
おいでになります。
彼女はベンヤミンのこのくだりをどんな風に感じられることで
しょうか?
日常の暮しは跡形もなく崩れ去って、あとに残ったのは、およそ非日常的な、
ものの役に立たない力、それこそ一糸まとわぬまで丸裸にされてしまった
魂の内奥だけなんだわ。
でも、この魂の内奥にとっては何一つ変わっていないの。
だって、それはいつの時代だって、寒そうにがたがた震えていたんだし、
たまたま隣合った同じように丸裸な魂に、いつも身をすり寄せるように
していたんですものね。
■読後ノオト(これは解説ではありません)
ボリス・レオニードヴィチ・パステルナークの
「ドクトル・ジバゴ」からの引用です。
レオニード・パステルナークは、彼の父であり、
著名な画家です。
第78回アカデミー賞が一昨日発表されましたが、
「ドクトル・ジバゴ」は映画化され、
かつてアカデミー賞を受賞しています。
これを機会にご覧になってみては如何でしょう!
世界の充実性のためにすべてのものは連結していて、
各物体は距離に応じて多かれ少かれ他の各物体に作用を及ぼし
また反作用によって他の物体から状態の変化を蒙るのであるから、
おのおのの単子は自分自分の視点に従って宇宙を表現し
宇宙そのものと同じように規則立っている活きた鏡
即ち内的作用を具えた鏡ということがわかる。
■読後ノオト(これは解説ではありません)
この文章はライプニッツの「単子論」からの引用です。
少々厄介な文章には違いありませんが、一読者としては
何もライプニッツの「単子論」を理解しようとする必要は
なく、
そもそもそんなことは浅学の私には手に余るのでありまして、
ただ、私がこの文章をご紹介する理由は、
この文章における「物体」とか「単子」を、「人間」とか
「人」と読みかえることによって、この文章を曲解し
楽しんでいるからです。
こんな身勝手な芸当を、この文章が許容するのは、
当時の数学が、哲学やら神学と切り離す事ができなかった
からではないか、と想像するものであります。
「いよいよ生まれるのだ」と彼女は言った。
「私は家に帰ります。私が呼ぶまで部屋へ入らねえでください。
新しく皮をむいた葦をするどく切って持ってきてください。
それでへその緒を切りますだ。」
彼女はなんでもないように畑を横ぎって家のほうへ向って行った。
それを見送ってから、彼は向うの畑にある池のへりに行って、
細い緑の葦を選んでたんねんに皮をむき、鎌でするどく切った。
■読後ノオト(これは解説ではありません)
何ということもない一節なのですが、偏見なしとお断りしますが、
彼女が「骨太」と言われる逞しい表現力を備えた作家だった証です。
はじめて「大地」を読んだ頃、もちろん男女の違いも本当のところ
分らない年頃でしたが、まさかこの小説を女性が書いたとは
全く意識しませんでした。
もちろん、この文章の書き手はパール・バックです。