当代の名文家 石川淳
■今日の文章
文人画の芸術家にとって、写生とは単にデッサンの稽古ではなかった
のだろう。
技術の練磨は生活の発見につながる。
芸術と生活との可能性はひとしく天地山川の間に求められるべきもの
であり、一草一木といえどもこの関係からのがれられない。
蘭を描き竹を描く。いずれもかくあるべき生活の形態に対応する。
技術はどうしても神妙でなくてはならない。描いてへたくそであった
とすれば、精神も生活もひでえ目に逢う。
伝神の語、ひとをあざむかない所以である。
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■読後ノオト(これは解説ではありません)
知るひとぞ知る、名文家の誉れが高かった石川淳の文章です。
活字離れとメールカルチャーによって、言葉の使い方が根本的に
変化している今日、いわゆる本物の読書好きでないと、彼の作品を
読む人はもうあまりいないのではないかと推察しています。
それでも、彼の文章が名文であることには変わりありません。
「狂風記」をはじめて読んだときの独特の感動は今も心の中にあり
ます。
文章の良し悪しは、沢山読むとある程度分かるようになります。
ただね、セールスレターの良し悪しとは異なる尺度であることに
は注意が必要です。
良い文章はそれだけ良い文章であり、むしろ人を沈黙させるもの
です。
セールスレターの是非は、売れるかどうか、です。売れる文章は
結果が出てみて分るので、「売れてる商品を説明する文章を学ぶ」
という大原則を実行することです。


