村上春樹 貧乏な叔母さんの話
貧乏な叔母さんの話
■今日の文章
世の中はきっと失われた愛や、失われそうな愛で充ちている
のだろう。
「さて、あなたには貧乏な叔母さんなんて一人もいない」と
彼女は言葉を続けた。
「それでも貧乏な叔母さんについて何かを書いてみたいと思う。
不思議だと思わない?」
僕は肯く。「何故なんだろう?」
彼女は少し首をかしげただけで、それには答えなかった。彼女は
後を向いたまま、細い指先を長いあいだ水の中に泳がせていた。
まるで僕の質問が彼女の指先をつたって水底の廃墟に吸い込まれて
いくような気がした。
きっと今でもあの池の底には僕のクェスションマークが、丁寧に
磨きこまれた金属片のようにきらきらと光りながら沈んでいるに
違いない。
そしておそらく、まわりのコーラ缶にむかって同じ質問を浴びせ
かけていることだろう。
何故? 何故? 何故?
「私にはわからないわ」ずいぶんあとで彼女はぽつんとそう言った。
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■解説
少し解説が必要かもしれない。状況としては、作家もしくは作家志望
の「僕」が、ある時、「貧乏な叔母さん」について書きたい、と考える
ようになる。
そのことをガールフレンドに取り留めなく相談している場面がこれ。
ココに書かれていることに何か、意味があるだろうか?
多分、ないだろう。
意味はないが、文章を書くという点において、こういう表現も可能で
あるという点を知っていただければ、取り上げた目的は果たせると
考える。
このユニークな文章を書いたのは、若き日の村上春樹氏である。



