内村鑑三 「認むる」ということ
「認むる」ということ
神を見るとは夢幻にかれを見るということではない。また神秘的にかれを
感じるということでもない、神を見るとはイエスキリストを真の神として
認むることである。
かの最も不幸なる人、かの罪人として十字架に懸けられ、エリエリラマバ
クニタの声を発しながら気息絶えし人、かの人を神と認むるをえて、人生
のすべての問題の解決はつくのである。
神を見るとは実に神を見ることである、わが罪を担うてわれに代りて屈辱
の死を遂げ給いし人なるイエスキリストを神として認むることである。
彼の文章は丁寧に言葉を選び、とても美しい語り口であることが特徴で
あると感じている。
書かれている内容がキリストに関することであるが、内容がどうであれ、
書き手の意思が文体に影を落としていることに間違いない。
古い言い方であるが、【認むる】という言葉の使い方は非常にアクセント
となっている。
この文章を買いたいのは、内村鑑三です。


